2011年5月31日火曜日
2011年5月30日月曜日
2011年5月29日日曜日
2011年5月28日土曜日
2011年5月27日金曜日
2011年5月26日木曜日
聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人 の要点まとめ~ブクペ~
「完璧でなければならない」ということがやたらと強調される日本では、若者は自分のことが尊敬できない。
システムは、若者の自尊心を奪い、子どもは不安になり優柔不断になる。
このような見方があるレベルに達すると、若者は孤独になりたがるか、他人との交流は「恥をかくはめになる危険なこと」と感じるようになる。
活発な交流は、人に貴重な財産をもたらすが、すべての日本人にとっては気の毒なことに、日本のシステムは、若者やそのほかの人から、貴重な財産を得るチャンスを奪う。
うぁー・・
聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人 の要点まとめ~ブクペ~
筆舌に尽くしがたい悲劇を乗り越える、その勇気と処理能力は、世界中の尊敬を集めている。深刻な状況に急いで対応するのに、日本のシステムほど頼りになるものはない。
しかし、危機ではない場合、つまり災害時でもなく、経済発展も成し遂げた時代には、このシステムは合わない。
戦後何十年も経ち、安全で豊かで平和なこの時代、日本のシステムは、上質の人生を謳歌したい人、真に多様性を持った人、リーダーシップの取れる人の創造性を損ねる働きをする。・危機が迫ってはいるがまだ出現していないとき。
・危害を持たねばやっていけない困難なとき。
には、ハリネズミのように内にこもってしまう。
うんうん
聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人 の要点まとめ~ブクペ~
◎日本という国は、航空母艦のようなもの。乗っている日本人に自覚はないが、実際は、兵士として空母に暮らしているも同然。
決まったリズムとスケジュールに従わなければいけない生活をしている。これでは、全員が軍人である。
全員が、同じことを同じようにしなければならない。けれども、人々は強制されているとは感じていない。
このようなシステムは、大災害の時には非常に優れた働きをする。
国を破壊する戦争、強い地震、津波などの災害、飢饉など、生命に重大な影響のある大きな出来事の際、人々の犠牲と忍耐が求められる状況では良い。災害などのとき、日本のシステムは驚くべき力を発揮して、危機を乗り越え、すばやくその状態から回復する
おお。
2011年5月24日火曜日
2011年5月23日月曜日
2011年5月22日日曜日
2011年5月20日金曜日
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? ニコ動の「般若心経 新訳」が衝撃 | DDN JAPAN / (DIGITAL DJ Network)
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
Kool
2011年5月19日木曜日
2011年5月18日水曜日
2011年5月16日月曜日
2011年5月15日日曜日
2011年5月14日土曜日
2011年5月11日水曜日
2011年5月10日火曜日
2011年5月9日月曜日
現役美大生の現代美術展 | Kaikai Kiki Gallery
僕らは美大に通ってる、合格する前は、美大を受験するための予備校に通ってた。
そこでは毎日が冒険だった。絵を描く事の意味、自分の気持ち、毎日の心のゆらぎ。
なんでもテーマにしなくちゃいけなかったし、そうやって、来るべき受験、その日の可能性に備えなきゃならなかった。ドキドキした。し続けた。
そして、、、合格できた。
美大は、、、ハチクロのように甘い空気が流れる訳でもなく、少し淀んでいるし、目標も無くなった。
そんな僕らの現代美術。僕らが造る現代美術。大学に入ったばかりだけれども造れるはずさ。
もういっかい、あの先生に教わりたい。予備校の先生。僕の好きな先生。
合格と言う目標はないけれど、あの日のドキドキを思い出したい。先生の名前はX。
今は言えないその人と。やってみよう!もう一回。あの日の気持ちで「現代美術」を。
うん。
展覧会を観て 2011年5月3日:村上隆(5月4日加筆) | Hidari Zingaro
ココで少し昭和日本画の歴史をおさらい。
東京芸術大学日本画科学閥を基準とした価格設定。
教授だから幾ら。助教授、講師、助手。
在学時に博士課程後期中退、大学院卒、学部卒、と学内のステイタスがイコール作品の価格、みたいな設定で運行した時期が25年程続いていた。院展、創画、といった画壇別の価格設定もある。(東京芸大は日展系がいませんでした)
日展=かつての帝展が日本画壇の総本山だったのだが、日展は80年代頃より東京芸大に入り込まず、戦後の東京芸術大学ヒエラルキーのすり替えにあい権威失墜。
、、、と、言うような日展、院展、創画、この3つの公募展の政治抗争も日本画を壊死させた原因でもあった。
否。ここに銀座の数件の画廊も絡まり、マーケットのテリトリーウォーズ、交換会での人工的な価格操作、大掛かりな脱税等があいまって、芸術的な文脈以外でも大混乱していたとも言える。その中、作家(学生達)は生き残りの方法を模索するも、その矛先は作品の芸術的観点ではなく、政治的文脈へと流れ込む。
教授をはじめとする先生達への顔色伺いが「お仕事」と勘違い。
結果、画業本道の道筋探索等はおざなりになっていた。
つまり作品は無惨なゴミの連発。マーケットも見る目無く、というか、政治
献金代わりに使われていた時代もあり内容等は何でも良かったという背景も手伝って批評的観点はほぼ無し。なので糞絵画を東京芸大ブランド根拠に大枚はたいて購入してた。核心部分は置いてけぼり。些末な人間関係が主軸になる。つまりお客様は置いてけぼり。で、業界破綻となったわけです。
今の日本画の学生はこうした政治抗争も知らなくなってしまってて、地方の風呂敷画商の誰それさんがホテルのスペースで展示会やってくれて売れたとかなんとかで、一喜一憂している有様。なさけない事おびただしい。、、、ここだけ読むと笑っちゃう阿呆な攻防ですが、これ、渦中にいると笑えない。
今の日本の政治、原発、いろんな問題点と同じ構造に思える。つまり、日本のあらゆる構造が些末な人脈と場当たり的な短期的な視野しか持てない事になっている、という事。
美術教育を考える、というテーマで、去年、某予備校から東京芸大に合格した学生さんの絵を展示即売した展覧会を行いました。
http://bit.ly/iWAuQRこの時のテーマ設定は
「大学教育が間違ってる?予備校での教育でも充分なのでは?」
でした。
その展覧会と今回の日本画ZEROは同一線上にあります。
つまり教育の問題点と共に、作家志望者の学生に潜む「幼稚な甘え」が日本の芸術界の底部にある大元ではないか、という答えなのです。
最近の美大の学生連中の間では、テクニック修得への向上心、探究心も無くなっている。(俺の学生時代からも無かったが、、、)
現代程、あらゆる素材、メディアが自由自在に身の回りにあって、それぞれのテクニックを磨く事で自分の身に付くスキルへの喜びを会得可能な時代は無いはずなのですが、なぜか何もかもが中途半端。
芸術家のまず第一歩に技術の徹底した探求もあるはずなのですがそこも日本のここ20年程の美大の「自由信仰」崇拝により誰かに何かを教わる事は自由を損ねる、というロジックで学ぶ姿勢が無い。
よんでるなう
FEATURE|honeyee.com Web Magazine
近代西洋画に対抗し、「日本式の絵画」の創出を目指して岡倉天心がはじめた「日本画」。
しかし、その後、日本画は、まさに「日本の愚鈍さ」そのものを体現するものに堕したのだ、と村上隆は断言する。
そのうえで、村上は「本来あるべき日本式絵画=日本画」とは何かを提示する展覧会『日本画ZERO』展を
中野ブロードウェイ・Hidari Zingaroで開催。目的はもちろん、「日本画を完全に殲滅させる」ため。