2011年5月9日月曜日

展覧会を観て 2011年5月3日:村上隆(5月4日加筆) | Hidari Zingaro

ココで少し昭和日本画の歴史をおさらい。
東京芸術大学日本画科学閥を基準とした価格設定。
教授だから幾ら。助教授、講師、助手。
在学時に博士課程後期中退、大学院卒、学部卒、と学内のステイタスがイコール作品の価格、みたいな設定で運行した時期が25年程続いていた。

院展、創画、といった画壇別の価格設定もある。(東京芸大は日展系がいませんでした)

日展=かつての帝展が日本画壇の総本山だったのだが、日展は80年代頃より東京芸大に入り込まず、戦後の東京芸術大学ヒエラルキーのすり替えにあい権威失墜。
、、、と、言うような日展、院展、創画、この3つの公募展の政治抗争も日本画を壊死させた原因でもあった。
否。ここに銀座の数件の画廊も絡まり、マーケットのテリトリーウォーズ、交換会での人工的な価格操作、大掛かりな脱税等があいまって、芸術的な文脈以外でも大混乱していたとも言える。

その中、作家(学生達)は生き残りの方法を模索するも、その矛先は作品の芸術的観点ではなく、政治的文脈へと流れ込む。
教授をはじめとする先生達への顔色伺いが「お仕事」と勘違い。
結果、画業本道の道筋探索等はおざなりになっていた。
つまり作品は無惨なゴミの連発。マーケットも見る目無く、というか、政治
献金代わりに使われていた時代もあり内容等は何でも良かったという背景も手伝って批評的観点はほぼ無し。

なので糞絵画を東京芸大ブランド根拠に大枚はたいて購入してた。核心部分は置いてけぼり。些末な人間関係が主軸になる。つまりお客様は置いてけぼり。で、業界破綻となったわけです。
今の日本画の学生はこうした政治抗争も知らなくなってしまってて、地方の風呂敷画商の誰それさんがホテルのスペースで展示会やってくれて売れたとかなんとかで、一喜一憂している有様。なさけない事おびただしい。

、、、ここだけ読むと笑っちゃう阿呆な攻防ですが、これ、渦中にいると笑えない。
今の日本の政治、原発、いろんな問題点と同じ構造に思える。

つまり、日本のあらゆる構造が些末な人脈と場当たり的な短期的な視野しか持てない事になっている、という事。

美術教育を考える、というテーマで、去年、某予備校から東京芸大に合格した学生さんの絵を展示即売した展覧会を行いました。
http://bit.ly/iWAuQR

この時のテーマ設定は

「大学教育が間違ってる?予備校での教育でも充分なのでは?」

でした。

その展覧会と今回の日本画ZEROは同一線上にあります。

つまり教育の問題点と共に、作家志望者の学生に潜む「幼稚な甘え」が日本の芸術界の底部にある大元ではないか、という答えなのです。

最近の美大の学生連中の間では、テクニック修得への向上心、探究心も無くなっている。(俺の学生時代からも無かったが、、、)
現代程、あらゆる素材、メディアが自由自在に身の回りにあって、それぞれのテクニックを磨く事で自分の身に付くスキルへの喜びを会得可能な時代は無いはずなのですが、なぜか何もかもが中途半端。
芸術家のまず第一歩に技術の徹底した探求もあるはずなのですがそこも日本のここ20年程の美大の「自由信仰」崇拝により誰かに何かを教わる事は自由を損ねる、というロジックで学ぶ姿勢が無い。

よんでるなう

Posted via email from 美味くないものを食べるほど、人生ヒマじゃない

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